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2004年 11月 28日
多分みんなはドラクエに夢中でサイトやってる人なんかはプレイ日記とか書いてたりするのだろうけどそんなオナニー日記を俺は書かない。つーか書けねえ。買ってないから。よって俺はチコタン日記を書きたいと思う。なんでチコタンかと聞かれてもそれは俺がドラクエを買ってないからとしか言えない。その前にチコタンってなんだよ?って人も居るだろう。とゆうか知らない人のほうが多いのかもしれない。まずはコレを見て頂きたい。このソリッドな歌詞を持つ歌がこどものためのものなのだ。チコタンと俺が出会ったのは小学校の頃だった。
うちの小学校では年に一度、芸術鑑賞として音楽や劇のプロを招いて体育館で鑑賞するイベントがあった。その年はどこからか合唱団が来ていたのだけど、正直みんながっかりしていた。とゆうのも前の年はどこかの劇団が来ていてピーターパンをやっていて、それが思った以上におもしろく、これは今でもよく覚えてるのだけどフック船長がワニに後から襲われるシーンがあって、ワニが飲み込んだ時計の音が後からする事に気が付いた船長が後を振り返ると同時にワニはサッと隠れる。気のせいかと船長が前を向くと再びワニ出現っていうのを繰り返す、専門用語で言うところの「志村うしろー!」な場面があり、俺の後で見ていた普段大人しい細野君までもが「うしろー!うしろー!」と大声で叫んでいた程ピーターパンは大好評だったのだ。それに比べて合唱なんて聴かされても退屈だよっていうのが大半の意見だった。しかし、それは大間違いだった。始まった瞬間からまさに度肝を抜かれた。いきなり全くなじみが無い関西弁といい、え?コレ歌なの?といったメロといい、チコタンの連発、そして極めつけの「食べてもたろか!」小学生のハートを鷲掴みにするには十分な出だしだった。2番になってもチコタンの猛攻は続く。突然の噛みまくりのプロポーズにくわえて、小学生の大好物であるハナクソの登場である。これを小学生がスルー出来るわけが無く、当然会場は異様な盛り上がりを見せ始めたのだった。そしてたたみ掛けるような3番。いきなりの叩きつけるようなメロから「ほっといてんか!」2番の盛り上がりが嘘だったかのようにシーンと静まる会場。4番、一転して明るいメロから始まり楽しげな内容が。得に「チコタン チコタン エビすき ゆうた」のコミカルな歌い方は小学生の笑いのツボを刺激し会場は再びアットホームな雰囲気に包まれたのだった。そして今でも忘れられない5番である。一斉に体育館の照明が消え、それに会場がざわめいている中、ひっそりとチコタンの死が我々に告げられたのだった。そうして、最後叩きつけるように「チコタン殺したのんだれや!?」の件が始まったのだった。あれにはかなりみんな驚き、親に何か駄々をこねていたら突然親がマジギレしてきた時のようにビクッ!となっていた。驚きのバッドエンドを終え、拍手も無いままに照明が明るくなって、笑顔で合唱団の女の人が「みんな元気ですかー」と教育テレビっぽく挨拶したが当然リターンは皆無だった。 そんなダウナーな雰囲気で終わったイベントだったが、次の日から俺達の間に怒濤のチコタンブームが到来したのだった。イベント後、皆に配られたチコタンの歌詞のプリントを熟読し、何かに怒るときに「食べてもたろか!」とキレてみたり、給食の時間の時は「ほっといてんか!レバーなんかいらん!ほっといてんか!」などと嫌いな食べ物を放棄したりと日常生活にどんどんチコタンワードを取り入れ活用していた。そしてクラスにいたチエという子の呼び名は急遽チコタンに代わり(残念ながらチエコは居なかった)、その子は「チコタン死んだ!」「わらうなチコタン!」などと不当な扱いをされていた。最初は冗談っぽく流していた我がクラスのチコタンだったがさすがにそれが2,3日も続くと過敏に反応しはじめ、その反応がおもしろい男子はさらにチコタンを弄るという魔のチコタンスパイラルが発動し、それに耐えられなくなったチコタンは次の日から登校拒否してしまったのだった。そして、チコタンの一件は担任の知るところになり学級会で延々と説教され、クラスの決まりにチコタン語禁止というかなりレアな決まりができたのだった。その後クラスの主な男子でチコタンの家に謝りに行き俺達のチコタンブームは鎮火したのだが、他のクラスでも同じような事態が起きていて全校朝会で校長がチコタン語を注意していたのはちょっとだけおもしろかった。 それにしても、救いのないバッドエンドといい、たべてもたろか!といい、チコタンの作詞者は何を考えてこんな歌を子供向けに書いたのか今でも謎で仕方がない。そしてそんな歌をチョイスしたあの合唱団の選択も謎だし、それを許可した学校も謎だし、俺が何で急にこんな日記を書いているのかも謎だ。
by tayama_nikki
| 2004-11-28 04:20
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